先週のワールドプロレスリングを見たか?世界のユイです。
プロレスラー 天山広吉のG-1クライマックスの特集だった。
天山については、ヤングライオン杯で優勝した1993年
5月の福岡ドーム戦を最後に、海外武者修行を行って
山本→天山として戻ってきたのを今でも鮮烈におぼえている。
多分、中学3年の受験直前だったはずだ。
実は天山が、天山として一番輝いた時期はプロレスを見ていない。
プロレスから音楽の方が好きになり、格闘技はK-1に魅せられていた。
そして、つい数年前まで新聞の見出し、週プロの見出し程度でしかプロレスを見てなかった。
だからNWOもテンコジ全盛期もあんまりは知らないのである。
※私自身は元々天山ファンではない。世代でいえば金本浩二が好きだった。
だが、今一度プロレス熱が再燃した今日この頃、
天山とかその世代の活躍を見るたび
「随分と歳をとったなあ。」と思いつつも
「ああ、あのころからずっとリングにいてくれてるんだ。よかった。」
とも思う。
そんな天山が盟友、小島聡からG-1クライマックスの出場権を譲渡され出場をした。
そのことに特別な感情もなかったのは正直なところである。
ついで言うならば、天山がG-1で3回も優勝をしているのすら知らなかったという
プロレス離れがはなはだしい私なのだ。
そういう私が今回の特集を見たわけだ。
天山とセコンドの小島の二人で臨むG-1クライマックス
※二人はかつてテンコジコンビとしてタッグのベルトも奪取しており、
デビュー当時からの中なのでとても深いところでつながってる。
天山本人は「最後のG-1」と言ってるほどの思い入れが深い今大会のようだ。
私が一番プロレスに憑りつかれていたあの頃、
「猪木、天龍、藤波、世代がなんでリングにあがるんだろう?」とどこかで思っていた。
でも今ならわかる。
あの頃の猪木達のように天山や同世代のレスラーもピークは過ぎているかもしれない。
天山は試合を見る限りボロボロで衰えも感じざるを得ない肉体、
技の切れや華やかさも失いかけていて、決して美しいもんでもない。
それでもリングに向き合い、臨み、立ち向かう姿。
そこに本人が持つ美徳だけじゃなく、観客側にも感動がある事に気づいた。
今回の大会については
「勝てないだろう、でも、勝つかもしれない。」の一心。
結果、負けてもその敗れた姿に「プロレスラー」を感じる。
棚橋弘至が立て直した新日本プロレスかもしれないけど、
第三世代と呼ばれるあの世代が世間のプロレス離れの中でも
踏ん張り続けたその功績が間違えなくあるんだと思えた。
同時にプロレス離れをした自分を後悔した。
少し話がそれるけど
私のプロレス離れと同じ時期に新日本プロレスから離れて、
今一度帰ってきて活躍をしている私と同じ年のレスラー 柴田勝頼には何か余計に感情を移入してしまう。
彼自身空白を埋めるように第三世代と呼ばれる天山の世代とNEVERヘビー級王座のベルトをかけて
激戦を繰り広げた姿は世間のプロレス離れからの帰還をいやがおうにも投影する。
G-1クライマックス2016、天山は2勝7敗の成績だった。
小島と駆け抜けた夏。
はたから見たら、落ち目の二人なのかもしれないけど
私には勇気をくれる姿を見せてくれたようにも見えた。
戻ってきた私にとって現役であることがとてもありがたいとも今なら思える。
それはバンドも同じかもしれないね。
復帰してくるバンド、もう一度ライブハウスにいきたいお客さん
それぞれの「あの頃」が今もそこにいるならそれは一つの感動や喜びを与えられるのかもしれないね。
似たようなことをずっと考えながら私は歌っているとこもある。
そういうささやかながらも大きい感動を贈り続けられたらと、贈り続けようと、贈らなくてはと思うばかり。
昔、こんな事を言う方がいた
「バンドとプロレスとサーカスは同じ。ボロボロになっても各地を回って夢を見せるんだよ。」
天山の姿を見てこの言葉について今までよりもちょっと深く理解できたようなそんな夕べでした。
いくぞ、WE ARE SWEET SOUL VINTAGE。
毎日毎日僕らは鉄板です。
チャオ